今日は「自分の姿」の話を書いてみようと思います。
ちょっと難しいです。
そもそも、最近「スポコン」小説にはまっておりまして、
この間までは素人が箱根駅伝を目指す物語を読んでいたのだけど、
今は、中学生が飛び込みのオリンピック出場を目指す物語を
読んでいます。(忙しいのでなかなか先に進まないけれど・・・)
体操なんかでもそうなんだけど、
飛び込みのような競技は、自分がどんな風に飛んで入水したか、
自分は見ることが出来ないのです。
だから、コーチが見ている自分の姿が全てで、
コーチのアドバイスが全てで、二人の信頼関係がものすごく大切らしい。
ただ、これってスポーツに限ったことではないような気がしました。
「人間の半分は、後ろ姿です」っていうファッションのコピーがあったけれど、
僕らの半分の後ろ姿は自分では見られないわけで、
値札が付いてても、う○こがついてても、
信頼している友だちが指摘してくれなかったらいつまでも気付かないのですよね。
という話はスケールが小さいけど、
普段の自分の生き方とか、様子とかを注意してくれる人の大切さを
実感しています。(特に何があったということではないけど・・・)
自分らしく生きているつもりでも、
その自分の姿は見られないものね。
恋は盲目というのに似ている気がします。
むしろ、自分に対しては常に盲目にならざるを得ないのですね。
そんな風に考えてみると、
「親の背中を見て育つ」ということも、
親は自分がどんな背中(生き方)をしているか、
自分ではわからないわけだからね・・・うん。
・・・やっぱりうまくまとまりませんでした。
もっと考察してみます。
自分の姿は自分じゃわからないよねっていう話でした。。。


