
不気味な空〜。なのに雨は降らず〜。
*
一言メモ
■冷凍した肉まんを自然解凍の後、蒸し器で蒸すとおいしい。
今まで水吹きをかけてチンしてたのとは大違いです!一度おためしあれ。
■世間体(せけんてい)をついつい、「せけんたい」と発音してしまう。
この年で恥ずかしいぜ(汗)
■どんな大雨でも、我が家の汚れたベランダは掃除できない。
なんで排水溝にあんなにゴミが溜まってるんだろう。。。
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ふふふ。

GETしました。新宿ピカデリーのチケット。
明日オープンの一番最初の上映で
明日公開の崖の上のポニョを見てきます!(メンズふたりで)
ピカデリーの運営は松〇株式会社なんだけど、
Webの宣伝がへっぽこで、新宿ピカデリーの公式サイトからは、
(たぶんオープン前だからなんだろうけど)
上映時間確認もできなければ、チケット予約もできません!
Googleで「新宿ピカデリー 上映スケジュール」と入れると
上から2番目ぐらいに購入ページがあるので、そこでようやく買うことができました。
(フィッシング詐欺じゃないよね?これ)
オープニング記念日だけど、明日はお客さんもおらずガランガランなのではないでしょうか。
詰めが甘いヨ、松〇さん。
そんなこんなですが、明日は童心に還ってジブリを愉しんできます。
(夕方から休日出勤なんですけどね。とほほ)
映画館の感想はまた後ほどー。
* *
ほんの1週間ぐらい前に、「駅の発車メロディ」の曲を変える権利を売ればいいのに、
という文章を書いたけれど、
まさにタイムリーで京急電鉄が「駅メロ」を公募する記事が出ていた。
駅内の投書箱やはがきで受付、
ご当地ソングか、作曲家の出身地などの地域色を感じるか、
あるいは利用者にとってわかりやすい曲かを判断基準に、
社内で協議して決めるとのこと。
ビジネスにはならなかったけど、自分も世の中と同じようなことを考えていて
ちょっとホッとしました。
しかしもっと早いタイミングで思いつかないとアイディアにならないからなぁ(T T)
もっともっと視野を広げなくてはと感じたのでした。
* * *
ちっとも自慢ではないけど、(ホントに自慢ではないけど)
自分が通っていた高校は芥川龍之介の出身校で、
校門の横(早稲田でいう、大隈銅像的なポジション)にも
芥川さんの記念碑が建てられている。
高校の先生はしきりに、「第二の芥川は出るのか?」「芥川みたいになりなさい」とみんなをはやし立てるのだけど、
芥川さんといえば自殺をした文豪なわけで、
「それっていつか自殺しろってことかよー」と
思春期だった自分は妙に反発したのを覚えている。
その芥川さんの幻の遺書が発見されたらしい。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20080718-OYT1T00029.htm

「文豪は万年筆で殴り書き」のイメージがあったので、
女の子のようなかわいい文字を書く芥川さんにもびっくりだけど、
「僕は勿論(もちろん)死にたくない。しかし生きてゐるのも苦痛である」
というくだりには、他人とはいえ何か感じるものがある。
しかし、「遺書」というのは、果たしてどうだろうと、いつも考えさせられる。
たまたま今読んでいる本が、重松清さんの「カシオペアの丘で」というもので、
ガンで余命3ヶ月を宣告された主人公がどう生きるかを描いた作品なんだけど、
(重松さんの作品は、死に行く人がたくさん出てきます)
ここでは死に行く人がやり残したことを一つずつこなしながら、
残される人たちにどう接していくかを丁寧に描いている。
これに対をなすのが、「セカチュー」の監督で知られる行定勲さんで、
彼はいつも、残されたも人たちが死んだ人をどう「後片付け」するかを描く。
芥川さんの記事と、二人のクリエイターの作品をふまえて思うのは、
「遺書で伝えたいことは、生きてるうちに直接話すべきだ」ってことだった。
死ぬ側も、死なれぬ側も、遺書でしか分かり合えなかったら哀しすぎるよね。
遺産相続のドロドロな話も、いじめられた話も、
お互いのためにも直接話すべきだと思うんです。感情論でしか言えないけど。
でも、それもきっと世の中知らずの甘ちゃんの考えで、
いざとなったら生きてるうちには話せないことが多いのかもしれないですね。
遺書といえば、日航機墜落事故で飛行機に乗っていた河口さんの遺書が忘れられません。
http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-isyo.htm
これこそが、遺書なんだと思う。
無理やりまとめると、
遺書は自殺する人、病気で死に行く人が書くものではなくて、
「どうしようもなくなったとき」に書くものか、
事故死する可能性などを踏まえて事前に書いておくものなのかなと、思った金曜日の夜でした。


